村野藤吾建築「目黒区総合庁舎」見学ツアー

《千代田生命本社ビル》としてニッポンの高度経済成長期のただなか1966年に竣工、その後のコンバージョンを経て、現在は区役所となっている「目黒区総合庁舎」を見学。
村野藤吾(1891-1984、略歴:村野藤吾賞公式サイト)が設計した、現存・現役の建物として有名今回参加した「建築ガイドツアー」は、今年7月に企画展「村野藤吾の建築-模型が語る豊饒な世界」を予定している目黒区美術館(および目黒区)の主催。

以下は庁舎全体を2時間で見てまわるAコースの備忘録。見学順通りではなく、和室と茶室については後日5月1日に参加したBコースにまとめ(当ブログ)、さらに5月1日の見聞録と写真を以下に追記し、再構成した。

最寄りの中目黒駅から徒歩5分。改札口の案内板に従って商店街を進み、途中を左折すると、低層ビルの間に目指す庁舎が見える(下の画)。高低差なく最短で庁舎西口に辿り着けるこのルートが推奨らしいが、旧《千代田生命本社ビル》時代のメインエントランスは、反対側の駒沢通り側に設けられている。
こちらはいわば"裏の顔"とはいえ、旧《千代田生命本社ビル》の代名詞ともいえる、アルミ鋳物を竪格子(ルーバー)に使ったファサードが見える。ちなみにこのすぐ右手に、建築や店舗の竣工写真で有名な(株)ナカサアンドパートナーズの事務所ビルがある。
駒沢通り沿いの庁舎案内板でレイアウトを確認。敷地の真ん中にあるL字の池を囲むようにして、コの字の本館と、東側に旧館がある。恵比寿方面から祐天寺方面に向かう駒沢通りは上り坂で、庁舎敷地内にも高低差がある。上の画でいうと上を向いている庁舎西口は本館の1階に位置するが、旧《千代田生命本社ビル》時代のメインエントランスであり、現在の庁舎南口は本館の3階にあたる。南口と駒沢通りの間は区民公園となり、駒沢通りから駐車場に寄らずにタクシーなどで来聴する車のために細い道が1本整備されている。
駒沢通りに架かる歩道橋の上から「目黒区総合庁舎」の眺め。画面左側の緑地が区民公園。公園内の掲示およびツアー時の解説によれば、元はアメリカンスクールの跡地で、さらに遡ると一帯は牧場だった。《千代田生命本社ビル》の建設が始まったのは、高度経済成長期の真っただ中の1963年。周囲に高い建物などなく、静かな校外の住宅地だった。村野藤吾は周囲に不要な圧迫感を与えぬよう、駒沢通りからセットバックさせて社屋を配置、駒沢通りとの間はゆったりと広場を設けた(現在は庁舎駐車場に)
竣工から34年後の2000年、千代田生命保険相互会社が経営破綻、広場に置かれていたヘンリー・ムーアの彫刻作品などが失われたが、その頃、手狭になっていた行政施設の移転先を探していた目黒区が敷地と建物を取得、当時としては異例の大型コンバージョンに踏み切った。
区民公園の入口から続く緩やかな坂道をのぼり、庁舎南口へ。左端はアスファルトだが、不揃いのピンコロが敷き詰められ、微妙に凹凸ではない舗道は、かつて此処が《千代田生命本社ビル》の敷地だったことを示している。見た目にはわからないが、埋設されている石はおそらく2か3丁掛けとのこと(露出面の縦横に対して2-3倍の長さの石)
駒沢通りに面した公園の門も《千代田生命本社ビル》時代から使われていたもの。現在の名称である「中目黒しぜんとなかよし公園」のプレートが嵌め込まれた、石門の側面および裏側にまわると、村野藤吾作品の一部であることことは隠せない。
この石の水飲み場も村野作品だろうかと思いつつ、道路を挟んで「目黒区総合庁舎」の全景。現在の用地面積は16,048.38平米、東京ドームより1,300平米ほど広いというから、役所としてはかなりの広さ。横に長い低層棟が、地下3階+地上6階建てに塔屋3階がついた本館。地下3階+地下9階建+塔屋1階で東側に建っているのが旧館。《千代田生命本社ビル》を手掛けた村野・森建築設計事務所にかわり、コンバージョンを担当したのは(株)安井建築設計事務所。設計期間は2001年10月〜翌年3月、工事期間は2002年4月から翌年4月。《目黒区総合庁舎》全体としての竣工日は2003年2月21日(見学ツアー配布資料より)
庁舎南口の車寄せ。大きな鳥が翼を左右に広げたような、大きなアルミ製の庇の横幅は35m、奥行き最大で5mもある。
大庇は左右それぞれ不均等にたてられた6本のステンレスの柱と、柱に見せかけた2本の雨樋、そして玄関風除室前に取り付けられた2本の雨樋で支えられている。庇の下、小さな巣のような守衛室は当時のもの。
「右と左で庇を支える柱の形状に注目を」とガイド氏。天井側は根元よりも少しだけ細く、また設置面は木の根のようなラッパ状になっている。このアール形状はこの後、各所で目にすることになる。
ツアー開始早々に「この建築の見どころは大きく2つ。1つは材料の質感、2つめはディテール。仕上げのあじわいや、村野藤吾建築の特徴である細部の豊かさを見てください」と見学者に告げた解説員のN氏は、《千代田生命本社ビル》の施工を手掛けたゼネコンの出身。竣工当時の姿も知る人物であり、基調な写真などの資料と共に、質疑応答を交えながら詳しく解説してくださった。
生命保険の本社屋時代には、株主や保険契約者などの外部からの訪問客向けの出入口だった旧称「玄関ホール」。社員は駒沢通りを下った東口から出入りしていた。
「玄関ホール」側面の壁は、イタリア産の白い大理石片(テッセラ)仕上げ。但し、何度か塗り直しているので当時の風合ではないとのこと(風除室の天井は当時のママらしいが)
正面の壁は、大理石の目地の際を薄く削ぎ落した「江戸切り」の石張り。村野藤吾が手掛けた現在の「日生劇場」=旧《日本生命日比谷ビル》の外壁にも見られる仕上げで、陽を受けると微妙な陰影が表面に生じるのだという。下の2枚は後日に日比谷公園側から見上げで撮影したもの。
南口玄関前にある「要石」と呼ばれている石も《日生劇場》と関係がある。バルコニーの柱で使われた石のサンプルとのこと(現場でファサードを見上げると、同じ形の石を確認できるという説明だったが、よくわからず)
目黒の「要石」は現在、来庁者がつまづかないよう、白いロードコーン(以前は赤いコーン)が上に置かれ、そうと聞かされない限り、もはや用途も何も全く不明な物体に。
足下にはまだまだ見どころが(後日、K氏によるツアー解説)。風除室前につけられた微妙なスロープを境として、それぞれ異なる仕上げの石が敷かれている。上の画、手前は鑿(のみ)によるはつり(ノミ切り)。奥は「ビシャン叩き」。共に当時の職人による手作業。
「ビシャン叩き」仕上げの敷石。教わらなければ、確実に見落とすところ。駒沢通りから続くピンコロ、ハツリ、ビシャン叩き、そして館内の大理石フロアへと、仕上げのグラデーションがつけられている。
天井付近で「ぐにっ」と曲げられた雨樋を横目に、いよいよ建物の中へ。
「玄関ホール(現:南口エントランスホール)」内部。
壁・床共に白の大理石張り。左側の外部に露出した長方形の柱と、水盤からすっくとたった八角柱が建物の構造。入れ子になっている左右の壁は、あくまで意匠上の役目を果たしている。内部空間に対して、奥に見える本館出入口と、8つ並んだ天窓の中心線、および風除室と玄関を貫くラインが左側にズレているのも大きな特徴。
ホールの天井高は5.8m、小判の形をした天窓の天辺まではさらに3mほど高い。
天窓の内側は、作野旦平が制作したガラスモザイクで装飾されている。よく見ると、それぞれ意匠が異なる。2つで1組、春夏秋冬を表現している。
村野藤吾がデザインした照明器具。アクリライトがクロスした部分にかつては照明灯が入っていたが、現在はオブジェとしての扱い。
ガラスの向こう、小石を敷き詰めた外部は「庭」である。
反対側・ホールの東側には、8角形の柱が5本立ち並ぶ。東に面した低い開口部から午前中は光が差し込み、水盤に反射して、さらに白い天井面にバウンドして、ホール内に柔らかな光が落ちる。日中は天窓から、陽が傾く夕方には反対側の西側の開口から光が差し込む。時間帯によって微妙に異なる光で満たされる、そんな効果を村野藤吾は計算したのではないか。
なお、上の画にも映っている、水盤とホールの境に並べられたクローズゲートは現代の既製品だが、村野藤吾は当時、ポールチェーンのゲートまでデザインしている。
東と西で高さを微妙に変えて設けられたこの開口部は、日本建築の伝統的意匠のひとつである地窓に着想を得ている。柱が並ぶ東側の開口からはかつて、広場に設置されていたヘンリー・ムーア(1898-1986)の彫刻作品を眺めることができたという。
かつては玄関ホールにもエミリオ・グレコ(1913-1995)の彫刻作品が飾られていた(5月1日のガイドを務めたK氏の説では、おそらく後述する大階段から降りてきた時に正面に見える位置に据えたのはないかとのこと)。グレコ作品の魅力を高めるために、村野藤吾は「ホールには黒い絨毯を1/3だけ敷くように」と注文をつけたらしい。

岩田藤七(1893-1980)作による色ガラスブロックの袖壁が門のように配置された先に、村野作品、とりわけこの旧《千代田生命本社ビル》の代名詞的な空間、本館2階と4階の3フロアを結ぶ大階段である。
前述の南口エントランス(旧称:玄関ホール)と合わせ、区の事業「目黒区総合庁舎ウェディング」がハレの舞台として提供しているのも頷ける。
階段の1段めに注目。まるで床から浮いているように見える。3階から2階に降りる際、ごく僅かだが揺れも感じた。村野藤吾は当初、4階の天井上のにある梁から鉄筋で吊り下げたかったらしいが、階段として使うにはどうしても揺れてしまうので、段裏の数カ所でそれとわからぬ構造上の補強を施している。
その支柱のひとつ、3Fの弾段。軽やかに見えるが、大きな柱からの持ち出し梁によって支えられており、その分だけ下が階段側に膨らんでいる(K氏の解説)。
大階段を上から見下ろすとわかるのだが、上と下で微妙に曲がり具合が異なる。理由のひとつとして、3階から2階に降りる際にこの"出っ張り"が視界に入ってくるのを少しでも避けるだけだたのではないか、とのこと。
2階からの階段見上げ。構造上の補強が見えているが、教わらなければスルーしてしまうさりげなさ。「段裏まで手を抜かずに美しいのが村野作品」とガイドのN氏。
黒いラインが梁と繋がった鉄骨。カーブがついたアクリル板は照明の名残り。
階段の手摺は現在、2本ある。黒いバーが当初からのもの。コンバージョンの際、建築基準法に適合させたシルバーの手摺とアクリル板が追装備されている。まるで元から存在したかのような、違和感のない見事なデザインだが、実際に昇り降りしてみると、自然に手を置いてしまうのは、村野藤吾が用意した手摺の方であった。その黒い手摺の支柱は、南口玄関前で見た柱と同様に、下が太く上にいくほど細い。なんと、無垢のステンレスを削り出したもの(5月1日 K氏ガイド)

今回の見学会とは関係なく、昨秋に長谷川堯先生が登壇したトークセッションを聴講した際、長谷川氏が「村野作品には観る者の心をふっと掴み、心を通わせる仕掛けがある」と指摘していた。その身体的なきっかけが、単なる建物(ビル)を"建築"たらしめると、この階段のスライドを前に説いていたのを、帰宅後に聴講メモを読み返して思い出す。
3階の階段前から、上階の見上げ。緩やかなカーブと天井面の境はフラットではなく、硬質石膏によって有機的なアールがつけられている。
4階フロアから、階段の眺め。
この階段は社員用ではなく、あくまで外部からの客を役員応接室や保険加入者相談窓口、2階にある「社員総代会場(現:大会議室、見学対象外)」に迎えるためのもの。これだけの面積を階段に割く余裕など、現代では失われたデザイン感覚のひとつだろう。
本館4階の壁に、その後の塗り直しを免れた、当時の仕上げママのイタリア産テッセラ(大理石片)による壁が残っている。
見た目の違いもあるが、触ってみると差は歴然。玄関ホールの外壁など、ツルツルした感触のテッセラは何度か塗り直しを経たもの。手触りがザラリとして、細かい光沢が美しく保たれているのが竣工当時のものである。下の画・腰壁部分のテッセラは「ツルっと」仕様であった。
「ここも村野藤吾らしい仕事です」とガイドのN氏。テッセラ仕上げの腰壁と床の大理石との境が直角ではなく曲面仕上げになっている。清掃など衛生面を考慮した「サニタリー幅木」という仕上げ。
壁の接地面のデザイン処理は、館の内外で数多く目にした。例えば上の画、アルミダイカストのファサードと、建物の外壁との間のコリドールにて。現在は緊急時の避難路として確保されている。
長谷川堯先生が講演時に「ある意味では無駄ともいえる、10%のコリドール」と表現していた部分。これも建築の"身体化"を誘いかける意匠のひとつなのだろう。
別館と本館を繋ぐ渡り廊下に、風変わりな意匠がある。一昔前の電車の車両連結部分にみられた蛇腹が使われている(上の画は2階の渡り廊下。細い採光ガラスが両壁に嵌められている:下の画)
村野藤吾は大きなガラス開口とした1階渡り廊下からの眺めをそれは大事にしていたそうで、植え込みから手伝い、刈り込む高さまで指定していたというが、現在はその倍の高さまで植物が育ち、渡り廊下から池は全く見えない。炎をイメージしてデザインされた噴水が仮に復活しても、水(ほむら)の先端がチョロチョロと見えるかどうか。
緑の多い庁舎。2005年に整備され、「目黒十五庭」と命名された本館の屋上庭園は、区民に開放された憩いの場。晴れた日には西に富士山も望めるらしい。
屋上から、塔屋3層の見上げ。
かつての姿は、表面に微妙な凹凸を出すために鋳型の表面におがくずを撒いた上で、5.5mm厚で鋳出し、焼き付け塗装したものであった(配布資料より)。アルファベット「I」の基本形に、屋上を縁取る先端部分、下端をカットしたものを縦横で連結させてファサードを形成している。その数、8,900本。構造上は無関係なので、あくまで意匠。日差しを和らげる効果もあると思われる。
本館屋上から南側の見下ろし。道路を挟んで奥に見える緑地が冒頭で触れた区民公園。8つの白いドームが並んだ手前のハコが旧玄関ホールである。前述の軸線がズレているのがよくわかる。人目に殆ど触れないというのに、8つの小判型ドームのまわりに砂利が敷かれていたのには驚いた(「照り返しを嫌ったのではないか」とガイド氏の推測)
パラペット部分にまわっている緑青、南側の左右両端の装飾は、村野藤吾自ら粘土で模型で型取りし、銅板で打ち出したもの(下の画は地上南側からの見上げ)
屋上から見下ろすと、地上からはわかりにくい、敷地の高低差を生かしたプランが確認できる。また、館内に居た時には暗さなど微塵も感じなかったL字池だが、こうして見ると完全に地面の下である。小高い緑地=築山を生かした建物の設計案も村野藤吾は考えていたようで、築山と一体化したようなイメージスケッチが残されている。
車寄せのアルミ大庇の見下ろし。屋上から眺めて初めて、フラットな天板ではなかったことがわかる。
本館(上の画)塔屋のさらに上部、2層分の高さで突き出ているファサードの一部が茶色いのは、鋼板の耐候性を高める為に敢えてサビ化させたコールテン鋼が張られているため。
また、旧館(後述)と側面の壁(妻壁)を比較すると、ダイカストとのおさまりなどが異なっている。
旧館の妻壁にはT字のスリットが入っている。駒沢通り側も同様(下の画)。地上から見上げると、スリットの間にバルコニーの柵を確認できる。
妻壁には空調機器類が格納されており、下の画(駒沢通り側の妻壁)でいうと、向かって右が吸込、左側が吹出ダクトに分かれている。
駒沢通り側からの眺め。この下に植わっているケヤキは、村野氏が山林に足を運んで自ら選定したもの。
旧館の妻壁などにも例の"アール"が見られる。下の画は別の角度から。
「地面から生え出たような」とも形容される足元回りの意匠は、村野独特の造形スタイルである。
 ーー『村野藤吾作品集』(TOTO出版「村野建築の紐解き方ーー村野建築の見所を探る」佐野健治寄稿文/P.014より)
屋上から留意して見なかったのだが、駐車場/旧広場の舗石にも仕掛けがある。部分的に黒ずんで見えるのは、白を基調としたピンコロに灰黒色の花崗岩を意図的に混在したがゆえ。雨が降って路面が濡れると、まだらの模様がわかりやすく浮き出るらしい。村野藤吾が陶彫家の辻晋堂(1910-1981)にデザインを依頼したもの。
上の画、濃いグレーの石で四角く囲われている部分に、かつてヘンリー・ムーアの作品「Upright motive」が存在した。失われた彫刻の近くに観賞用に設けられた座石が、今では座るにはなんともビミョーな位置に。
かつて築山の麓には、小さな水の流れがあったそうだ(現在は枯れ、溜め池状態)。水辺と広場の敷石との際は、ピンコロをやや盛り上げて敷き詰めている。小さな石の橋を渡り、築山の階段をのぼっていくと、南口玄関の前に出る。
エントランスの石と築山の芝が混ざり合う付近も、村野藤吾による意匠。石がでこぼこに敷かれ、積み石も違和感なく緑と混じり合うように考えられている。
これほど見どころ満載な役所は他に例がないであろう。別に高層棟でなくとも、地域のランドマークとしての存在感を出せるのだと感じた。来年で竣工から半世紀、使い勝手の善し悪しはあるだろうが。
本テキストは、区の公式サイト「村野藤吾氏の建築意匠概要」および、見学時に配布された4Pのリーフレット(目黒区美術館作成、使用写真の多くは新良太氏の撮影)、4月17日および5月1日のツアー見学時の見聞メモを参照した。

空間を実体験しながらの見学ツアーはやはり格別。その場に立ち会わないと学べないことがある。コースを変えて参加すると新たな発見も。「和室集中コース」の様子は後日掲載(5月1日blog




+飲食のメモ。
《千代田生命本社ビル》の時代、池を囲むようにして、2,500食配給可能な厨房を備えた大食堂が本館1階にあった。現在は規模を約1/4に縮小し、誰でも利用できるレストランとなっている(営業時間:平日11-14時のみ)
この日の定食メニュー/¥620はA、B、Cの3種類(下の画の左上、Aは3種類のフライ、その下の段はC:スパニッシュオムレツ)。ほか、丼ランチ/¥560、カレー、ラーメン、そば、うどん、スペシャル膳/¥440など。コーヒーもある。
入店したのが13時過ぎだったせいか、¥50からある単品メニューは売切御免。
どうやらサンプル通りにボリューミーなメニュー。フライ定食にそそられたが、腹具合と相談して「ミニ丼」に。食券を入口で買い、厨房の職員さんに渡すオーダーシステム。 カウンターで出来上がりを待つ間、空のトレイは幅をとる横ではなく縦に置くのが此処でのマナーと学習。
今日の丼は豚のバラ肉にとろみをつけたカレー味。ミニでも腹いっぱいになるからあなどれん。レギュラーサイズは空腹で挑まねば。
レストランから、館内通路とガラス窓を挟んで、L字池の眺め。池を挟んで、緑青の屋根を突き出させた和室「しじゅうからの間」、その左にガラス張りの休憩コーナーが見える。社屋時代には、上の画にあるような館内通路はなく、ガラス面まで食堂の空間だった。
景色もゴハンも、ごちそうさまでした。

目黒区総合庁舎 レストラン
https://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/hoken_eisei/kenko/syokuiku/kyoryokuten/goannai/ippan/meguro.html