《旧中野刑務所正門》見学&講演会聴講

中野区民が小学生の頃、"蝶々のかたち"と教わる区のど真ん中に、かつて四角く囲われた広大な敷地があり、「中野刑務所」と記されていた時代がある。四方を高塀で囲まれ、刑事ドラマでの出所シーンにも背景としてよく登場したが、1975年(昭和50)に廃庁が決まり、塀も舎房も取り壊された。
跡地は今、区の防災公園「平和の森公園」および法務省矯正研修所東京支所が置かれている。後者の敷地内に、刑務所の名残が唯一、遺されている。赤煉瓦づくりの「正門」だ。事前に予約、または敷地の奥にあるという稲荷参拝を理由とすれば平日の見学が可能だが、中野たてもの応援団主催で有料イベント:講演会(「近代化の象徴としての監獄建築 後藤慶二と豊多摩監獄」講師:内田青蔵神奈川大学教授)と正門見学会が開催され、参加した(11月2日)

上の画は法務省敷地内、南側から見た《正門》。奥の北側にかつて刑務所の敷地が広がっていた。つまり、上の画はこれから入所する受刑者が最初に対した表門の眺め。
見上げたそこに、かつては警察旭日章(後述の経歴による)と月桂樹を刻んだレリーフが在ったが、剥落したのか撤去されたか、今はない。
正門(表門)を含む《豊多摩刑務所》の設計は、司法技師だった後藤慶二(1883-1919)。1910年(明治43)着工、竣工は1915年(大正4)。近代を代表する獄舎建築として、藤森照信著『建築探偵 東奔西走』(朝日文庫、1996)や、長谷川堯著『神殿か獄舎か』(相模書房、1972)にも登場する。

参考:長谷川堯氏関連アーカイブ
INAX Report No.168(内藤廣氏との対談)
http://inaxreport.info/data/no168_p15p37p.pdf(計12page)
www.biz-lixil.com/news/article/ia_seminar/003/ias003_1.pdf(計22page)

獄舎・刑務所としての歴史は古く、江戸時代の小伝馬町牢屋敷を元とする。その流れをくむ「市谷囚獄」が1903年(明治36)に警視庁から司法省管轄に移り、名称も「市谷監獄」となった。1910年(明治43)に現在地に移転、司法省の「豊多摩監獄」として焼煉瓦造の獄舎、事務棟、工場などが建設された。赤煉瓦は小菅刑務所の受刑者が焼いたという。
1923年(大正11)には関東大震災で施設の一部が大破(正門は現存)。復旧後も第二次戦争による空襲、連合軍による接収と、激動の時代を送る。《中野刑務所》となったのは米軍拘禁所(スタッケード)から解かれ、返還された1957年(昭和32)以降である。

前述「市谷囚獄」の建設は1975年(明治8)。「獄とは、人を残虐するところにあらず。人を懲戒するところなり」と唱った監獄則並図式の方針に則り、当時としては極めて進歩的な収監施設であったという。開国時に結んだ不平等条約撤廃に力を入れていた国の施策による。1922年(大正11)10月には名称が「監獄」から「刑務所」に変わったのもその影響。
門の脇の解説版(上の画)で「豊多摩監獄」時代の全貌を写真と図面で確認することができた。長谷川先生の講義でもよく出てきた、有名な「十字舎房」がこの当時から、全景写真の左下に写っている。
受刑者は治安警察法・治安維持法下で逮捕された大杉栄や小林多喜二、埴谷雄高ら"有名人"も。近年では東大・安田講堂事件の被告人50名を収監。最も多い時期で279名がこの中で刑に服していた。

上の画の反対側、北側からの《正門》見上げ

西側側面

煉瓦は通称イギリス積み。門の両側の壁に、煉瓦塀を撤去した跡が認められる。また内部には哨舎を兼ねた小部屋がある。屋根はかつて石盤葺きだったが、1980年(昭和55)よりトタン葺きに。
その反対側、南側から東側側面にまわりこんだ眺め

塀の内側に対して開閉していた哨舎出入口。特徴的な小庇は、煉瓦塀の撤去後の改修。
東側側面から北側にまわりこんだ眺め

北側の鉄格子越しに、南側の眺め

鉄鋲が埋め込まれた扉(内開き)の外の世界の眺め
以上のテキストは、講演会時に配布された詳細な資料と現地解説版に拠った。
 

配布資料には、佐々木幹郎著『やわらかく、壊れる(みすず書房、2003)から一文が引用され、また講演会に先立ち、早世した後藤慶二の子息も出演したドキュメンタリー映像「光の中に消えたレリーフ」も上映された(youtubeで公開準備中とのこと)

今回のイベントタイトルは「旧中野刑務所のこれまでとこれから」。法務省矯正研修所東京支所は昭島市への移転が既に決まっており(参考:中野区教育委員会 2008年度第1回政策会議/更新2010.1.6)、跡地は2つの小学校の移転統合計画が進行中。中野区公式サイトでは「区内平和史跡案内」のひとつにこの正門を勘定しているが、学び舎の敷地内に刑務所の遺物が保存されるかどうかは、現時点では全くの白紙。
《旧中野刑務所正門》は金網フェンス越しに、北側の公道からも見ることが出来る。脇道なので車の往来が少なく、春は桜が美しい。



+飲食のメモ。
《旧中野刑務所正門》からJR中野駅までは徒歩15分ほど。途中、薬師あいロード商店街(既出「SNOW PICNIC」斜め前)にある「オリエントスパゲティ」にてランチ。

メニューのパスタ価格+200円でサラダ(左の画)とドリンクが付く。平日の日替わりパスタのセットは850円から。その日のおススメメニューは公式Facebookに速報が出る。

旬の食材を使ったオーガニックパスタが人気の店、ディナーメニューも豊富。

この日は「牡蠣とモッツァレラチーズのトマトソース、ジェノバソースがけ」をオーダー。トマトソースは[玉葱/甘め]と[ネギ/辛い]の2種類から選べる。
今シーズン初の牡蠣がゴロゴロと、柔らかくてギュッと濃厚。
たいへん美味しゅうございました。ごちそうさまでした。

オリエントスパゲティ 公式サイト
http://arthur-seaton.com/orient/