「ジブリの立体建造物展」@ 江戸東京たてもの園

小金井市の江戸東京たてもの園(以下、たてもの園)で開催中の「ジブリの立体建造物展」を見る。スタジオジブリ(以下、ジブリ)のアニメーション作品に登場する建造物にスポットを当てた展覧会。リードは「部分を見れば、全体が見える。」
本展では、今夏公開された「思い出のマーニー」から、1984年の「風の谷のナウシカ」に遡り、これに「アルプスの少女ハイジ」を加えた20作品に登場する、主要登場人物の住まい、職場、町などの設定資料ーー美術設定、イメージボード、背景画、模型やジオラマが出展されている。本展監修を務める藤森照信氏(建築史家・建築家)による解説が所々で添えられ、いわゆる子ども向け展示の域を越えている。

例えば、図録の表1と見返しにもなっている(上の画)、藤森氏いわく「典型的な建て増し」である《油屋》では、ある背景画の中に、建物に渡る太鼓橋の下の崖に、PC大梁と鋼材が分断された状態で見えていることを指摘、太鼓橋の元はコンクリ造、または工事途中で中断されたのではと推測している。この、本編の筋には全く登場しない箇所も含めて、建物の設置面のディテールまでしっかりと描くジブリ作品だからこそ、説得力をもった建築的リアリティがあるのだと氏は分析する。展示会場の天井スレスレにおさまっている「油屋模型」にも、この橋の下の設定はきちんと反映されている。
藤森氏が「ブリューゲルの『バベルの塔』が宙に浮いていると思った」という「天空の城ラピュタ」。イメージボードには、本編の筋には登場しない設定の書き込みも。

ほか、藤森解説では、「風立ちぬ」の主人公が勤めるM社工場の建材として描かれていた波板トタンは、当時は決して廉価ではなく、戦後に下落したこと(解説文は図録未収録)、「ハウルの動く城」は予算さえあれば"動く"構造であること、宮崎氏が描く住まいには必ず炉や竃が在ることなどを指摘している。建築の専門家による解説に加え、宮崎氏や作品美術監督など制作関係者の当時のコメントも一部で掲載されている(注.過去の文献からの引用)
1988年公開の「となりのトトロ」において、藤森氏は、主人公が引っ越してくる《草壁家》が和と洋の2つから成ることに着目。ススワタリが棲んでいた和館を「無意識的建築」、大学教授の父親の部屋が置かれ、降雪地にみられる屋根勾配となっている洋館を「意識的建築」のそれぞれ器とし、意識と無意識が融合した家であると分析している(参考:「ねとらぼ」2014.7.11記事)
テレビ放送で映画を見た老婦が「昔の階段は急だったから、小さい子はああやって両手を使って昇るのよね」としみじみ感嘆していたが、同作品の原作・脚本・監督を務めた宮崎氏は、「今の若い人たちは、バランスの良い寄棟屋根を描けない」「こんな畳の敷き方は有り得ないというようなものを描く」と嘆いていた(本展図録より/初出典は『江戸東京たてもの園だより』第11号、1998)
『ジブリの立体建造物展』図録表4と見返り

20作品からなる資料群はとにかく見応えがある。「ハイジ」のコーナーでは「ゼーゼマン家」の2階パース図や、ハイジの「冬の家」の平面図ラフなどもあり、失礼ながらあの当時、ここまで設定されていたのかと驚かされる。

今回の企画展は、これら「ジブリの立体建造物展」を見た後、野外の復元建物群も見てまわり、現在はほぼ失われた「たてもの」の魅力に改めて気付いて欲しい、という筋立てに。
例えば、西ゾーン7にある、大正14年に建てられた個人邸(下の画)の壁が、「思い出のマーニー」に登場する《大岩家》と同じ「下見板張り」であり、張り方にもいろいろあると、藤森解説は教えてくれる。この「パーゴラ(藤棚)」は、「となりのトトロ」のワンシーンーー"根もとが腐ってる柱"のまわりでサツキとメイが遊ぶ場面を連想させる。大正時代の一時期、住宅のテラスにこのような藤棚を設けることが実際に流行したらしい。
1925年(大正14)竣工《田園調布の家/大川邸》大田区田園調布4丁目より移築

同様に、東ゾーン13に移築された、昭和初期の様子を再現した乾物屋(下の画、中央)や、生花店や荒物屋の側面は、「風立ちぬ」で描かれた、昭和初期の下宿屋と同じ「押縁下見板張り」である。野外展示の各解説板では、さらに詳しく、特徴的なファサードの「出桁造り」や「看板建築」に関する説明も読め、1927年(昭和2)竣工の《植村邸》(下の画、左奥)には断面模型も置かれている。
1928年(昭和3)竣工《大和屋本店》港区白金台より移築

昭和初期竣工の荒物屋《丸二商店》の側面、千代田区神田神保町3丁目より移築

藤森氏、たてもの園、ジブリ、この3者は約20年来の付き合い。藤森氏は、スタジオジブリ出版部が発行している小冊子『熱風』に、昨年から「建築の素」を連載中。また遡れば、両国にある《江戸東京博物館》の分館として、たてもの園が1993年にオープンする際の野外収蔵委員も務めた。高畑勲氏と宮崎駿氏は、たてもの園とジブリが近いこともあり、高畑氏がいう「なつかしい"ほんのきのう"」が在るたてもの園には、開園当初から通っていた。
3氏が初めて顔を揃えたのは、1995年に設けられた鼎談の席(江戸東京博物館1995年発行『江戸東京たてもの園物語』収録、表紙は宮崎氏の画)。その時のやりとりの様子や、以降の宮崎、藤森氏が発表してきた作品などから、両氏の「建物に対する視線が近い」と、同園学芸員は図録のなかで指摘している。

宮崎氏・藤森氏共に、上記書籍や『新・江戸東京たてもの園物語』(2014、企画・編集:江戸東京たてもの園 スタジオジブリ)などへの寄稿文などから、それぞれに思い入れの強さ、愛着の深さがうかがえる、昭和の文具店《武居三省堂》が、野外・東ゾーンの一角に建っている(下の画、中央)
竣工は1927年(昭和2)、同園での復元は開園と同じ1993年(平成5)。建物はファサード部分だけが斜めになっていた。
店内・向かって左側、桐箱の引出収納が壁一面を埋め尽くしている。かつては上等の筆を分類して収め、それより格の落ちる筆は天井部の吊り下げ棚に置かれていた。これらの什器は二代目店主の考案。壁全面の引出収納は、ジブリの「千と千尋の神隠し」にリ・デザインされて登場する。釜ジイが取り仕切るボイラー室の壁面として。


《光華殿》を移築した入口のビジターセンターを含め、《高橋是清邸》や《前川國男邸》、堀口捨己(1895-1984)が欧州旅行帰国直後の30才の時に建てた《小出邸》など、園内に30棟ある復元建物(うち1棟は修復中)や、それ以外の屋外展示物29点までじっくり見てまわると、たっぷり1日はかかる。冬季は閉園時間が早いので注意。

ジブリの立体建造物展」は、当初12月14日終了予定が2015年3月15日まで会期延長となり、12月16日から展示物と音声ガイドも追加される(東京都歴史文化財団Twitter11月20日告知)。月曜、12月28〜翌年1月1日休園(月曜が祝祭日の場合はその翌日)。冬季10-3月の開園時間は9:30〜16:30(入園は閉園30分前まで)。入園は有料。

人気のジブリ展は休日は入場制限もあるようで、混雑状況は同園公式Twitterでツイートされる。

同園では、11月22、23、24日に、面出薫氏監修による夜間特別ライトアップイベント「紅葉とたてもののライトアップ」も開催される(夜間特別開園16:30-20:00、荒天時中止、有料)

江戸東京たてもの園
http://tatemonoen.jp/




+飲食のメモ。
同園30棟めの復元建造物、明治の洋館《デ・ラランデ邸》。1903年(明治36)に来日し、神戸に重文《トーマス邸/風見鶏の館》を遺したドイツの建築家ゲオルグ・デ・ラランデの自邸兼事務所。藤森照信氏も著作で指摘しているが、三島由紀夫の小説『鏡子の家』のモデルとされる。
西ゾーン10《デ・ラランデ邸》1910年(明治43)頃竣工、新宿区信濃町より移築

1998年(平成10)に移築が決定してから(都の財政難により)13年後の2011年(平成23)に復元工事開始、昨年4月からようやく公開が始まった。解体調査で、ラランデによる新築ではなく、既存の平屋を増改築したことが明らかになっている(「江戸東京たてもの園だより」No.42,43より)
 

こちらの1Fの旧食堂と居間、テラスを利用して、田無に本店がある「武蔵野茶房」が10:30からカフェを営業している(冬季は16:00L.O.)

豪華なシャンデリアとインテリア、レトロな衣装でキビキビと立ち回るスタッフのサービスに囲まれ、雰囲気が良い(但し、1Fカフェ内も見学エリアになっている)。晴れた暖かい日はテラス席も利用できる。

メニューは武蔵野茶房の定番スイーツや「カレーライス」「ハヤシライス」のほか、「ピリ辛ジンジャーライス」「ソーセージ盛り合わせ」、そしてドイツビールまである。「カルピス」の発明者の住まいだった時期もあり、冬季メニューとして「ホットカルピス」も用意されている。
温かいスイートポテト+砂糖まぶしのさつまいも+つぶあん+冷たいソフトクリームの4段重ねの「特製おいものパフェ」(消費税込¥810)と、ホットコーヒー(¥572)
美味しゅうございました。ごちそうさまでした。

たてもの園休憩所 カフェ「武蔵野茶房」
http://tatemonoen.jp/about/shisetsu.html