「日本の民家一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点」@青森県立美術館

青森県立美術館》で開催されている「日本の民家一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点」を見に行く(会期:2013年12月14日〜2014年3月30日)


二川幸夫氏は1932年生まれ、1970年(38才の時)にエーディーエー・エディタ・トーキョー(A.D.A.EDITA Tokyo)を設立、”グローバル・アーキテクチュアー”の略である建築雑誌『GA』をバイリンガルで創刊、 2013年4月に亡くなるまで、国内外を問わず現地に足を運んで撮影した写真や、設計者へのインタビュー記事と共に、最新の建築情報を世に送り届けてきた。

「建築写真家」という一側面的な肩書きで呼ばれることを嫌っていた、というエピソードは、後述のトークイベントでの青木淳さんの言だったか。

二川氏が立ち上げたエーディーエー・エディタ・トーキョーは、建築家の作品集や単行本を多数発行しており、今はどうだか知らないが、本の表4(裏表紙)に、本の流通や書店での売上管理の為に必要とされるISBNコードやバーコードを付けないという、装丁にもこだわった出版社というイメージが昔からある。

同展は、二川さんが20才前後の頃に日本各地をくまなく回って撮影し、二川さんの10才年上で当時は新進気鋭の建築史家だった伊藤ていじさんが文章を書いて、1957年から59年にかけて発行された『日本の民家』全10巻・280点のモノクロ写真の中から、約70点を改めて紹介するもの。青森での開催に先立ち、東京のパナソニック 汐留ミュージアムでも昨年1-3月に開催されているアーカイブ

青森県立美術館》は2000年に行なわれた設計競技(審査委員長伊東豊雄、副委員長池原義郎、審査委員岡田新一、半澤重信、藤森照信ほか・敬称略)において、応募作品総数393点の中から最終審査に進出、最優秀案に選ばれた青木淳さんが設計を担当、2006年7月に開館した(引用元:同館公式WEB> 美術館概要
館内展示室における撮影は禁止。公共スペースのみ以下に掲載する。
1Fエントランス前の空間では、青木淳さんによる「1992年4月1日から2012年11月22日までの104冊、KOKUYO A4全ノート全ページを完全収録」したという『青木淳ノートブック』(2013年、平凡社)の一部や、同館の1/200模型などが展示されていた。
展示室は建物の地下にある。
展示室へは1FからエレベーターでB2Fへ降りる。
ボックスのドアが開くと、吹き抜けの大空間に迎えられた。
B2Fチケット/案内カウンター前の空間。 同館を代表する常設展示作品で、バレエ「アレコ」のためにマルク・シャガールが描いた全4幕の背景画のうち3つを展示したアレコホールが突き当たり。織布にテンペラで描かれた同作品の高さは約9メートルもある。

B2Fチケット/案内カウンター前から、EV見返り。
B2Fチケット/案内カウンター奥のラウンジ。
冬季以外は、こちらの出入口から、公道を挟んで北側に隣接する三内丸山遺跡にアクセスできる。ガラス越しに白い冬景色がみえる。
隣接する縄文遺跡を意識した仕様だと、後のトークイベントで青木さんが説明していた、鉄の階段や鉄製の手すり。
同館を構成する”ホワイトキューブ”のひとつ、 消化器の収納ボックス。
「ハンチク」の床と「タタキ」による茶色い壁については、LIXIL(開館当時の名称:INAX)のWEBに残っているアーカイブに詳しい。

受付で配布される6P程度のパンフレットに(推奨順路に沿ってた作品リストはあるが)館内のフロアマップが載っていないので、 だんだんと自分が今どこに居るのかわからなくなってくる。その為か、要所に配置されたスタッフが、来館者が道に迷う前に親切に道筋を示してくれるのだが、ワガママを云えば、スポット照明が美しくて魅力的な階段を昇り降りしたり、海外の美術館のように館内で迷子になるみたいに、もう少し徘徊してみたい気も。
このほど発売された書籍『青森県立美術館』の紹介文にある、”ひとつの「街」として設計された美術館”という表現があるが、後述の対談においても設計者の青木淳さんが「展示室は施設全体の30%にすぎない」「来館者なりに繋ぎ合わせていかないと全貌がわからない」「推理小説を書いているみたいに設計している」と話していた。・・・ということは、館内のフロアマップ表示が最小限なのは意図してのことか?

B1Fでは企画展「寺山修司×横山宏:2人の箱男」を開催中(出品者の厚意で撮影可)
青森といえば、棟方志功だが、展示作品は別のフロア。
B1F「棟方志功展示室」から、長い階段をおりてB2Fへ。展示室Fを抜けると、青森県美を代表する屋外展示がある。
展示室Fの作品「 奈良美智+graf:ニュー・ソウルハウス」に座りながら、 奈良さんの屋外展示作品「あおもり犬」のガラス壁ごしの眺め。
作品のそばまで行ける連絡通路は冬期につき閉鎖中。だが、頭に雪の帽子を載せた「あおもり犬」 はこの時期しか見られない。帽子は “ベレー帽”→”シルクハット”状に大きくなっている。
1Fに戻り、通路をL字に抜ける。
この日はこの青森県美の設計者を決めるコンペで、最優秀に選ばれた青木淳さんと、(千葉学さんと並んで)次点の優秀賞となった藤本壮介さんとの立春対談が14時から開催される。聴講を前に、一息入れたい。開始まであと10分。
カフェ以外では、ドリンクはコミュニティホールの自販機で売っている。
この後、1Fシアターにてトークイベントを聴講。登壇者は「日本の民家一九九五年 二川幸夫・建築写真の原点」の会場構成を、担当した藤本壮介さんと、施設全体の設計者である青木淳さんとの立春対談。1月開催予定が延期になっていたらしい。

主催者が開催後に youtube にアップした動画
http://www.youtube.com/watch?v=r0nS1zdeqWw#t=15


藤本さんはこの約1年前に開催された東京・汐留会場に続いての会場構成。二川さんからは「好きにやっていいよ」と任されたそうだ(却ってプレッシャーでは)。”二川写真”との真剣勝負にどう挑んだか、会場の模型を見せて一発OKが出てホッとしたのも束の間、だがしかし、というオープン直前のエピソードが面白かった。会場チェックに訪れた二川さんの何気ない、だが繰り返されたある一言によって、藤本さんと事務所スタッフは”問題点”を改善する為に必死に知恵を巡らすことに。その甲斐あって、初日を再び訪れた二川さんに、さらに満足いただけたとのこと。そして、汐留展会期中の2013年3月5日、二川さんは急逝された。
汐留会場を見た者には、貴重なエピソードを知り得たのと同時に、青森会場に一歩足を踏み入れた時の第一印象~床に落ちた影の美しさの理由の一端がわかった気がした。

青森会場については、website [artscape]に掲載された、写真評論家の飯沢耕太郎氏による記事「民家のガンバリと力強さ──「日本の民家一九五五年──二川幸夫・建築写真の原点」レビュー」が詳しい(展示風景の撮影クレジットは、二川幸夫さんの息子さんで、現 A.D.A.EDITA Tokyo の代表および『GA』ほかの発行人を務めている二川由夫さん)。
http://artscape.jp/focus/10095785_1635.html

壇上、二人の対談は続く。 前述設計競技の最終審査会の際、まだ自分の事務所を立ち上げて間もない頃だった藤本さんは、模型とパネルを手にたった一人でプレゼンに臨んだ。この地を訪れるのはそれ以来、およそ14年振り。スクリーンには、幻となった藤本案の平面プラン(幻の「安中環境アートフォーラム国際設計競技」最優秀案や、その後の住宅作品《T-House》を想起させる)、当時のソフトを使ってなんとか描いたという館内イメージ画なども映し出され、青木さんが審査会当時を振り返りながら空間を読み解く場面も。

対談の終盤、藤本さんの最近の作品を撮影しているという写真家のイワン・バーンや阿野太一さん各氏それぞれの「建築と人のなじみ具合」の比較は、今回の企画展にふさわしい論点、できればもっと聞きたかった。また対談中盤、台湾でのコンペの余話として、国際設計コンペにおいて「模型の内部に人間(人型)を入れてくるのは日本人だけ」という青木さんの指摘なども興味深い。

90分あっという間に、二人の対談は終了。帰路につく人々を尻目に、2Fにあるカフェ「4匹の猫」を目指す。
“季節限定”、”ご当地限定”という「豆乳と青森産りんごのブランマンジュ黒すぐりソース」と「ぜんざいラテ(うろ覚え)」。ごちそうさまでした。
メニューは喫茶以外にもカレーやパスタもあり。

カフェのカーテン越しに、外の「創作ヤード」が見える。
雪の結晶を模したようなカーテンは、テキスタイルデザイナーの安東陽子さんが担当したもの。

カーテンをめくって、窓ガラス越しの外の景色。「創作」ヤードには雪が積もり、冬季は立ち入れない。



カフェのガラス越しに、階下ミュージアムショップの見下ろし。

青森駅行きバスの発車時間を気にしつつ、先の対談で青木さんがスライドで見せた、細かいディテールを確認して回る。

対談が始まる前、青木さんは藤本さんを連れて普段は入れないようなエリアも含めて館内を案内されたとのこと。青木さんは一般向けの「見学ツアー」に前向きな発言をされていたので、もし仮に催行の場合はぜひとも参加したい。



アクセス:青森空港からは直行バスなし。新青森駅から左回りのあおもりシャトルdeルートバス「ねぶたん号」利用が最短ルート。または青森駅から市営バスで約20分(片道270円)。共に「県美術館前」で下車、停留所の目の前が美術館。

《青森県立美術館》公式サイト
http://www.aomori-museum.jp/




+ご当地飲食のメモ2。
翌朝。駅前の観光案内所でチェックするまで知らなかった古川市場(青森魚菜センター)へ。駅前から徒歩5分ほどの立地。 名物として売り出している「のっけ丼」を食すべく、早起きも厭わず。

「のっけ丼」とは、場内の参加店で100円から売られているまぐろやサーモンなどの刺身、焼き魚などを、その場で丼ご飯にのっけてもらい、自分だけの海鮮丼をつくれるというもの(テイクアウト不可)。御飯は普通盛りが100円、大盛り200円。100円券/5枚または10枚セットになったチケットを使えば支払いもスムーズ。指定の食事処では味噌汁もオーダーできる。
とれたての貝からむいてもらったひも付きホタテ、サーモン、まぐろ赤み、中トロ、追加で買いに行った雲丹、焼きタラ、ボイルの子持ちやりいかは今が旬。
おいしゅうございました。ごちそうさまでした。


古川市場 「のっけ丼」
http://www.aomori-ichiba.com/nokkedon/